新世界より Хороший дневник 。

1日を振り返って書きおこすことで精神安定を謀っている。

3。繊細を比喩したHyacinth root、昔話

 

7:30

10時半だと思い込んで、起床。

前日のブログ書き始めが遅かったこと、調子に乗って2日分書いたこと、そういうわけで4時間半睡眠だった。

 

8:30

友人に(勝手に)モーニングコールを行う。扁桃腺。

MHW

 

 9:30

友人に再びモーニングコール。起こした。

MHWを共にしようとする。エラー。

エラー。エラー。

エラー。エラー。エラー。エラー。

エラー。エラー。

エラー。

エラー。

友情を阻まれる。

悲しい。

 

11:30

隙を見て(何の隙だ)、何度かセッションを試す。悉くエラー失敗。

カプコン許さん。

外国の方とオンラインプレイできることを確認でき、キレる。

1km圏内の友人とオンラインできない、カプコン許さん。

明日は、できるかな。

 

12:30

家庭教師先へ向かう為、家を出る。

 

19:30

ご飯をご馳走してもらう、有り難いです。

お母様と話し込む。

ニーチェに関する本、哲学用語図鑑、この二冊を借りる。

 

24:00

借りた本を読みながら、電車に乗る。

駅に着く。

 

24:30

洗顔クリームの補充を買えていない事を思い出す、風呂を諦める。

朝入ろう。

書き始め、今に至る。

 

 

 

睡眠不足からか、本日の計算間違い頻発が起こったと思う。猛省。

教える側が、間違いを気付かないまま教える。重罪。

何はともあれ、インターネットの隅の隅の隅の隅にも無いだろう本サイトから、生徒さん(担当している子)の期末考査、健闘お祈りします。

 

 

ブログ開設については初回投稿に簡単にあるのだけれど、その一つとしてアウトプットがある。今日は口からアウトプットを沢山した。沢山したから沢山振り返って沢山得ることがあるのだと思うと、思いこもう、楽しみである。今日は昔話をした、主に高校生の頃を振り返ってみた。

 

 

小噺。

 

 

俺は高3の5月頃から2月まで現代文の先生に京大現代文の添削をして頂いていた。その先生は高3に上がってから僕らの学年の現代文担当となり、(後に非常に面白く素晴らしい先生だと認識するのだが)医学部などの推薦や面接の文章の添削指導を厳しく行うと話を聞いていた(と記憶の前後関係が朧げだが恐らくそうだった思う)し、独特な話し方や初見殺し気味の授業スタイルなど、様々な要素から多くの生徒から畏れられていた。共通認識としてあったのは恐らく畏怖だったと思う。(今日は「恐らく」「そうだったと思う」と書きがちだ。怪しい記憶を書くときに、怪しい記憶ですよ、と記すために書いているつもりだ。こう書かなかった場合、記述を自分の正史だと思い、記憶の改竄が行われるだろうことを僕は今恐れている。)

話を戻そう。添削を10ヶ月近くの間して頂いたことを書いていたな。4月頃の授業では、現代文評論において引っ張られがちな哲学者(に加えて先生セレクトの哲学者)に関するプリントと説明を頂いた。我が校には倫理の授業が無かった。僅かに聞いたことあるような無いような哲学者や名言、主張、手段、見地、全てが新鮮で心踊らせていたように覚えている。添削をお願いする前に、8限目にあたる時間から大問1つを解き、自己採点、自己修正、そして先生による解説。最後に自分の黒と自分の赤が入り混じった回答を先生に提出し後日返却、返却の際には職員室の先生の元に取りに行き、その場で教えを頂く。思い出すにこの流れだったと思う。職員室でその先生の前で正座になって有難い教えを聞いている姿も見られたものだ、今それを思い出して懐かしさが急に迫ってきている。因みに、正座は生徒が能動的に行なったのではなく、先生の横に置いてある空き席に教えを貰う際に座ろうとして、正座で地べたに座って聞け!と叱られたことによるものである。

最初の数ヶ月の僕の回答の酷さたるや、比喩でなく眼も当てれなかった。そんな回答にどうにかして眼を向けてくださった先生、感謝です。俺はこの回答の酷さはアウトプットに関する事柄だと思っている。普段のコミュニケーションには十分なアウトプットは出来ても自分の思想を纏ったアウトプットが出来なかった。その頃なりに言いたいことはあった。その頃なりに表現したいこともあった。出来なかった理由は、言葉を知らない、主張への文脈の作り方を知らない、周囲の眼を過剰に気にしていた、意見の提案がしたいのに意見の押し付けになってしまうのが怖かった、未整理未着手の考えばかりだった。こんなとこだろうか、キリがないので取り敢えず。そんな無茶苦茶な僕は、添削という形で、先生と対話した。全然話しにならない対話が沢山あった。形になりかけていく経過の対話もあった。辛い対話もあったし楽しい対話もあった。総じて思うのは、どの対話でも一つでも無ければ、今の自分は違う自分に為っているだろう。そんな対話の締めは、その先生が引率してくださった京大受験の旅だった。一生の思い出。

 

 

マズイ、2時を過ぎてしまった。。

 

 

月を歩いている。ナブナさんのアルバムの名前。

何を僕は歩いているのかな。

歌う睡蓮、花降らし。4番目と、5番目の曲名。

曲間の繋ぎが好き。

ナブナさんのアルバムについて、この場でいつか、話たいな。

 

 

良い一日でした。

洗顔クリームを明日こそは買いましょう。銀行にも行きましょう。

良い夢と良い睡眠を願う、おやすみなさい。

 

 

 

 

 

2018-2-19-2:12